今月の言葉アーカイブ


2017年5月の言葉

人は自分の見たいものしか見ない

カエサル

国会は国のルールを作るのが仕事なので、日々様々な重要会議が繰り広げられています。

そこでは賛否が激しくぶつかり合う議論もあります。議論のスタートから両者の事実認識が異なっているもの、議論の終盤まで同じような論理展開でも最後の結論が正反対であるもの、議論がねじれの位置にありいつまで話し合っても交わらないもの、いろんなパターンがありますが、落とし所が見つからない議論をたくさん見てきました。そんな毎日で見つけたのがこの言葉です。

「人は自分の見たいものしか見ない」

結局そうなんです。自分の望む結論、そこに至る論理、皆がそこに固執して議論しているのです。だからそれと相容れない考え方の人とは議論がかみ合わないのです。良いとか悪いとかでなく、カエサルの時代から人類はそうなのです。テレビも新聞も本もインターネットもそうです。みんな自分の伝えたいことだけを伝え、みんな自分の欲しい情報だけを手に取るのです。

真に知的な態度とは、先入観や自分の立場・都合にとらわれず、正しく目的を設定し正しくそこに向かう姿勢です。カエサルはそうした人間の本質というものを熟知しながら、目的を達成してきたのでしょう。

私も国会の議論において、己を勘定に入れず、筋の通った議論で、正しい結論を導く役割を果たしていきたいものです。


2017年4月の言葉

寛と厳([かん]と[げん])

私の恩師である森田修学館の初代館長 森田譲康先生が、職員室に毛筆の手書きで貼っていた言葉が「寛厳」でした。「これはどういう意味ですか? 何と読むのですか?」と私が聞くと、「[かん]と[げん]。子供には寛容な心と厳しい態度との両方を持って接しなければならないということ。寛大過ぎてもわがまま放題になってしまうし、厳し過ぎても萎縮してしまう。おおらかに育てながら、締めるべきところは締めるのが教育の要諦なのだよ。」ということをおっしゃいました。

当時は、教育の話であり、子供に対する大人の態度の話として聞いていましたが、最近になって政治の世界にも通じる深い言葉だなあと感じるようになってきました。

近年、ポピュリズムが幅を利かせ、国民に媚びる政治がウケているように思います。それは子供に好かれようと子供の要求する通りに物を与え子供に媚びる大人の姿に似ています。大人の態度として必要なのは、真に子供の将来を考え、時には厳しい言葉で叱ってでも正しい方向へ導く態度です。政治もまた然り。世論に迎合して国民を甘やかし国をダメにする政治ではなく、時には厳しい態度を持ってでも未来に責任を持つ政治が必要です。


2017年3月の言葉

人はそれぞれ「正義」があって 争いあうのは仕方ないのかもしれない
だけど僕の「正義」がきっと 彼を傷つけていたんだね

SEKAI NO OWARI「Dragon Night」より

今月の政治塾での演題にもあるように、政治の場では賛否の割れる問題が多々あります。財政は拡大したほうがいいのか? 縮小したほうがいいのか? そうした問題ひとつを取っても方針をまとめることは容易ではありません。

しかし政治は現実世界に答えを出すのが仕事ですから、期限までに明確な結論を出す場面があります。

そうした時、それぞれの信念と信念がぶつかり合って、大激論となることがあります。お互い自分が正しいと信じているわけですから、自分の意見を否定されれば面白いはずがありません。それは議論であって喧嘩ではないのですが、感情のしこりを残すこともままあるようです。

自分の信念は絶対の真実ではないし、正論を主張することは人を傷つけることもある。そのことをわかったうえで、自分の正義を疑うことや、相手の気持ちを理解しようとする態度が必要です。

しかし国民の代表である以上、事なかれ主義で黙っていては本分を果たすことができません。やはり主張すべき信念は主張せねばならないと思うのです。


2017年2月の言葉

生き方は、愛情の表現である

福岡のT社長

私が銀行員時代に担当させていただいた会社の社長さんが言っていた言葉です。人がどう生きるかは、そこにその人の価値観が表れます。なかでも、その人が何を愛し、どう愛しているかが表れるとおっしゃいます。

「お前は政治をして何をしたいのか? どんな世の中にしたいと思っているのか? もっと堂々と発信しろよ! 何を愛しているからそのために何をするのか? そのことをしっかり訴えられたら、みんなきっと応援してくれるよ」

私が何を愛し、そのために何をしようとしているのか、言葉だけでなく生き方で表現しなさいという激励です。

私はいわゆるパフォーマンスというものが好きではありません。嘘や虚飾を感じるからです。しかしこの言葉を聞いて、表現というのは派手に振る舞うことだけではないのだと思いました。

生き方が不器用であっても伝えられるものがあると思います。伝えるものは「愛情」、その手段は「生き方」、噛めば噛むほど味わい深い言葉だと思います。


2017年1月の言葉

準備が自信を作る

エディ=ジョーンズ(元ラグビー日本代表ヘッドコーチ)

2015年のラグビーワールドカップで日本が南アフリカに勝利した時の監督がエディ=ジョーンズです。あの勝利から一年以上が過ぎ、早くも今年は2017年。2019年のワールドカップ日本大会まであと1000日を切りました。

「準備が自信を作る」とはその通りだと思います。衆議院の解散もいつあるか分からないからこそ準備が大切です。準備が十分なら有事の際にも自信を持って即応できます。準備ができていなければ、慌てふためいて混乱に陥ります。準備が大事なのです。

ジャパンが南アフリカから決勝トライを奪ったシーンのように、全ての準備が自信につながり、自信が信念となって結果を生み出すのです。

2016年12月の言葉

社交の秘訣は、真実を語らないということではない。真実を語ることによってさえも、相手を怒らせないようにする技術である。

詩人・萩原朔太郎

11月の下旬から税制調査会の議論がスタートしました。

税金とは誰にとっても嬉しくないもので、できることなら減らしてほしいというのが万人の本音です。そんな声をも反映した意見が続出する中、財政規律に厳しい私はディスカウント一辺倒の意見を一喝します。

真実とは、正論とは、それが的を射ていればいるほど、言われた側は腹が立つものです。正論でありながら相手を怒らせない言い方とは、まさに高度な技術によって成り立ちます。

真実を語らねばならない、しかし相手を怒らせてはならない。この二律背反を克服できる技術のある政治家になりたいものです。


2016年11月の言葉

大きなことをする必要はないのです。小さなことに大きな愛をこめればいいのです。

マザー・テレサ

大学の卒業旅行で、私はインドに行きました。最終目的地・カルカッタにあったマザーテレサの施設にまで押しかけ、マザー本人に会うことができました。私は興奮して「私は将来政治家になって、世界を平和にしたいんだ!」ということをまくしたてました。女史はほとんど私の話には耳を傾けず、静かに両手を合わせて去って行きました。彼女にとって私は次々にやって来るミーハー日本人観光客の一人なのだな、と悲しい気持ちになりました。

今でもあの時のことを思い出します。あの頃の私は野心的で、大きなことをしたいと思っていました。しかしそれは私のエゴでひとりよがりだったのです。大きなことをしたい? その目的は何なのか? 本当に大事なことは、為すことの大小ではないのです。マザーの人生は、「小さなことに大きな愛をこめる」日々だったのです。政治家であるならそのことをなおさら意識すべきだと自戒します。実績を残してやろう、足跡を残してやろうといった我欲を捨て、真に世の中の役に立つ仕事をしたいものです。


2016年10月の言葉

馬鹿じゃできない 利口じゃできぬ、中途半端じゃ尚更できぬ

村田英雄(男の一生)

政治家の心得を先輩議員が説いていた際に出てきた言葉です。

政治家は世の中のあらゆる事象に通じていなければならないので、馬鹿では務まりません。しかし正論ばかりを言っていてもその通りにはならないのが世の中なので、理屈ばかりを通そうとする利口な人も政治には向いていません。

かと言って馬鹿にも利口にもなりきれない覚悟の人では尚更できないのが政治です。「先輩、いいこと言うなあ」と思い、言葉の出どころを探ってみると、村田英雄さんが唄った演歌の一節でした。

それが人の世なのだなあと思うと同時に、人の世が政治そのものなんだよなあという思いを強くしました。


2016年9月の言葉

天は自ら助くる者を助く(God helps those who help themselves.)

サミュエル=スマイルズ

ラテン語で記された古いことわざであり、サミュエル=スマイルズが「自助論(Self-help)」の中で記したとされる言葉です。天は、他人に頼らず自ら努力する者を助けて幸福を与える、という意味です。他人への依存を排し、成功のためにはまず自分自身が努力することが必要だということを説いています。

日本のことわざで言うと「働かざる者、食うべからず」という言葉があります。これもまた「自助努力なき者には手にする果実はない」ということを示した言葉ですが、食うべからずという表現が厳しすぎて、現代日本のリベラル世論の中では容易に受け入れられなくなってきている感があります。

その点、この言葉はうまくできています。「努力しない人は食べられない」ではなく、「努力する人が食べられる」という論理構成になっています。またその結果をもたらすのがGod(もしくはHeaven)だというのです。これまた文句のつけようがありません。

何が悪い、誰が悪いと、人のせいにばかりして口を開けていても、何ひとつ成果を手にすることはできません。大事なのは、今自分にできることを精一杯やることです。自らの幸せのためには自ら努力することが肝要なのです。


2016年8月の言葉

また会えるよ 約束しなくても

スピッツ「魔法のコトバ」より

スピッツの楽曲「魔法のコトバ」中のサビのフレーズです。

スピッツの歌詞は素晴らしいものがたくさんありますが、特にこの一節は秀逸です。人生にはいくつもの節目があり、出会いや別れがあります。しばしお別れ…という感傷的な場面で、「また会えるよ、約束しなくても」という言葉は、別れのせつなさと再会の希望とを爽やかに表現しています。

「また会おうね」と不確かな約束するよりも、「また会えるよ」と告げるほうが心がつながりあっているような確かさを感じさせます。大臣政務官として302日間務めた環境省を去るのはたいへん寂しいものでしたが、世界の様々なフィールドで環境省の仲間たちと再び共に仕事をする日が来ると信じて、「また会えるよ」と告げたいと思います。


2016年7月の言葉

子供の頃から、人に笑われてきたことを常に達成してきた

イチロー選手

やはり「今月のことば」はこの人しかないでしょう!

2016年6月15日に、大リーグ・マイアミマーリンズのイチロー選手が日米通算4257安打を達成しました。これはピートローズが持つ大リーグ最多安打を超える数字です。(日米通算と単純比較できないところが残念ですが、イチロー選手の偉大さは少しもかげるものではありません)

子供の頃からイチロー選手は、自分の信じた道を自分の信じたやり方で歩んできました。その高すぎる目標とそこへ向かおうとする独自のメソッドは、周囲のもの笑いのタネにされたことでしょう。

「常に人に笑われてきた悔しい歴史が、僕の中にはある」(同日のイチロー選手のことば)

イチロー選手の言う悔しい気持ちが、私には痛いほどわかるんです。世界を平和にするため政治家になる! と公言していた少年時代。一介のサラリーマンから裸一貫で県議会に出馬した浪人時代。思えば私も、悔しい思いをしながら、誰もが無理だと言うことを叶えてきたように思います。

「そんなんじゃお前には無理!」みたいなことを簡単に言う人はたくさんいます。でも人生は、人の評価のためにあるものではありません。適当なことを言う人のことは置いといて、自らの信じる道を自らの信じたやり方で切り拓いていきましょう!


2016年6月の言葉

私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ

トーマス=エジソン

成功への道のりは、挑戦と失敗からできています。

発明などというものは、いまだかつてない技術の開発ですから、失敗があってあたりまえです。ひとつふたつの失敗で諦めていてはものになりません。このやり方がダメならあのやり方……無数にある組み合わせのうち、うまくいかない方法を消しこんでいき、一歩ずつ成功へと近づきます。うまくいかないことは失敗ではなく、成功に至るために必要な礎石なのです。

成功する人とは、ひとつひとつのトライ&エラーを着実に自分の力に変える人なのでしょう。


2016年5月の言葉

多くの言葉で少しを語るのではなく、少しの言葉で多くを語りなさい

ピタゴラス

ギリシアの数学者であり哲学者でもあるピタゴラスの言葉です。

この言葉自体には解釈の説明など必要ないと思われます。政治家にとっても非常に大切な指摘です。テレビが強い情報発信力を持つ今、コメントは短く端的に伝える事が肝要です。また日頃政治家の挨拶を聞く機会の多い私も、中身のない演説ほど長いものだと辟易しています。なのでこの言葉に初めて触れた時、「まったくその通りだ!」と膝を打つ思いでした。

自戒を込めて、「少しの言葉で多くを語るべし」と肝に銘じたいと思います。


2016年4月の言葉

泥中の蓮(でいちゅうのはちす)

泥の中に生える蓮の花。けがれた境遇にあってもこれに染まらず、清らかさを保つことのたとえ。

先日、家業を継いで社長に就任した友人から、「一筆、色紙を書いてくれ」と頼まれました。「どんな内容の言葉がいい?」と尋ねたところ「正しく生きろ! みたいな内容がいい」とのことでした。

はてさて、「正しく生きろ」といった趣旨の言葉ってどんなものがあるかな? と探したところ、私の心境にもピタッとはまったのがこの言葉でした。

どんなドロドロの沼の中にあっても、蓮は泥中に根を張って美しい花を咲かせます。汚い世界に染まるなよ、努力してきれいな花を咲かせるんだよ、というメッセージです。

書に向き合う時間は、自分の心と向かい合う時間です。人のために書く時間も、自分の心に向けて書く時間になります。友人に贈ったこの言葉も、自分への戒めとして大事にしたいと思います。


2016年3月の言葉

約束とは、自分にするもの

中央区で飲食店を営む私の友人がフェイスブックに書いていた言葉です。出典があるかもしれないとネットで検索してみたところ、類似の言葉が多々ありました。誰が言ったともなく一般的に使われている表現でもあるようです。

日々私達は生活の中で、さまざまな約束を簡単に人と交わします。「こんど飲みに行こうね」といった類の話です。しかしその約束は必ず履行されるとも限りませんし、それが「約束」であるのかも判然としないことはよくあることです。

でも一旦自分の口から出たその言葉を、相手は信じていつまでも待っているかもしれません。飲食店の経営者に「今度食べに行くね」と言っておいていつまでたっても来ない人も、少なくないかもしれません。客が入らない日などは、いつか受け取った軽い口約束がうらめしくてしょうがないこともあるでしょう。言った側は悪気などこれっぽっちもないのでしょうが、期待された約束が履行されないのは罪なことです。いったん自分の口から出た言葉には、行動をもって責任を取らなければいけませんよね。軽い口約束であっても「約束は自分にするもの」だと思って履行しましょう。

この2月、飲食店は厳しかったという話をよく聞きました。私も自分への約束がだいぶ果たせていないと自戒する日々です。


2016年2月の言葉

石器時代が終わったのは、石がなくなったからではない

環境大臣政務官をしていますと、日々環境問題について知識が更新されていきます。この言葉は誰が言った言葉かはわかりませんが、最近私が衝撃を受けた言葉です。石がなくなったから石器時代が終わったのではなくて、それを超えるイノベーションが起こったから淘汰されたのです。産業革命によって地球温暖化が引き起こされ、その解決のための技術革新によって古い技術が淘汰される……そんな未来がやってくるのかもしれません。環境を取るか産業を取るかの二択ではなく、環境技術の振興が産業の推進につながるような好循環を作っていきたいと思います。


2016年1月の言葉

いかなる義務も、恩を返すより重大なものはない

キケロ

ローマの政治家であり哲学者であるキケロが「義務について」という著書の中で述べたとされるのがこの言葉です。一昨年に亡くなった私の恩師がこの言葉を常々私に説いて聞かせてくれていたため、私にとっても人生の重要な指針となっている言葉です。

人は誰も、他人との関係の中で生きています。誰からも世話にならずに生きている人など一人もいません。どんなに立派な人も、親から産み育てられ、社会の中で一人前になったのです。どれだけ多くの人の支えの中で私達は生きていることでしょう。恩を返すということが人間にとって最大の義務であるというこの言葉は、たいへん重たいものです。どうすればこの恩に私は報いることができるのか? 自問自答しながら、日々世の中にお返ししていこうと思っています。


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