福岡市民の身近な食文化である屋台が今、存亡の岐路に立っています。現在の福岡市のルールでは、屋台の営業権は現在営業している人の一代限りとされており、屋台営業権の譲渡や新規の屋台開業は認められていません。つまりこのままでは将来的に福岡から屋台はなくなっていくのです。屋台に関して何が問題なのか? 福岡から屋台はなくなるのか? 残すことはできるのか? 今回は屋台問題の本質について考えてみたいと思います。

市民・観光客に愛される屋台

福岡の観光ポスターやガイドブックにも屋台は登場し、屋台が川沿いに並ぶ夜景は博多の風情を演出しています。都会の中に雑多に並ぶ屋台はいかにもアジア的であり、観光客の旅情をそそっています。このように市民や観光客に愛されている屋台は、博多の文化や観光資源としての価値を持っています。ベストセラー「デフレの正体」を著した藻谷浩介さんは、日本中の全ての市町村を自分の足で歩いた人です。私は、福岡の魅力について藻谷さんと二度対話した中で、「福岡にとって屋台は、都市の魅力を構成する重大な一要素である」と確信しました。

屋台がかかえる問題点

しかし屋台はいいことばかりではありません。多くの問題点をかかえているので、屋台の存続が難しくなっているのです。市が定めた規格を越えて道路を塞いだり、道路を油でベタベタにしたり、臭いや騒音では周辺住民からの苦情も出ています。「ビールとつまみで何万円も取られた」といった「ぼったくり」もしばしば問題になっています。また、屋台の営業権が高値で転売されたり、その仲介料が暴力団の資金源になったりという問題もあります。こうした問題がありながら屋台は「それで生活している人から突然取り上げるわけにはいかない」ということで、既得権益としてかろうじて存続を認められてきたのです。問題の多さゆえ福岡以外の都市では戦後から続いていた屋台が次々になくなってしまいました。

「公道での商売」が問題の本質

屋台は問題点が多すぎて、ひとつひとつの各論の議論に時間を浪費している感があります。そもそも屋台問題の根本は何なのでしょうか? それは、「屋台は公道の上で商売をしている」ということです。道路交通法では「道路は人や車が通行するためのもの」であり、そこで恒常的に商売をすることは認められていません。道交法的に屋台の存在はかなりグレーなところなのです。「屋台だけが路上で商売をしていいのか?」ということが議論のスタートとなります。一般飲食店は家賃や固定資産税を払って営業していますが、屋台は中洲や天神の一等地で月に数千円の道路使用許可料だけ払って商売をしています。このコストにおける不公平も問題です。

屋台が存続するためには

私個人のスタンスは、福岡に屋台を残したいと思っています。しかしここまで書いてきたように「公道上の商売の是非をどう扱うのか」というルールを整理しなければ、観光・文化のプラス面だけを理由に押し切ることは、問題の根本解決になりません。屋台を集めて「屋台村」を作るという案もあるようですが、そのやり方は全国で失敗に終っています。町の風景にとけこんでいるからこそ屋台なのです。博多に屋台を残すためには屋台が公道で営業できる法的根拠を作ることがスタートです。そのためには福岡を『博多・屋台特区』として国に特区申請することを私は提言したいと思います。その後に衛生面やぼったくり、営業権の転売などの問題に対する各論への行政規制が必要です。道路の使用料を市場価格と照らして適正にしたり、ルールの厳守について行政の関与を強めるべきです。ルールが曖昧なままに全てがなしくずしに存続してきたところに屋台問題の本質があるとも言えます。市民の支持を得て正式に存続することが決まるならば、多少厳しくても行政のルールはしっかり守ってもらい、市民と都市と屋台が共存する関係を作らなければならないと考えます。

ドサクサ紛れの増税は公約違反である!——コラム「鬼が斬る」——

11月3日、野田首相はG20首脳会議にて、日本の消費税を10%まで引き上げることを表明しました。なぜ民主党政権は国内でさえ十分に議論されていないことを国際社会に約束してくるのでしょうか? この時期の増税が日本経済にどういう影響を与えるのか、国内での十分な議論が必要です。そのプロセスもへずになし崩しに事を運ぶやり方は、卑怯かつ不誠実です。 日本の収支は完全にバランスを欠いています。そもそも増税は不可避だと私も思っています。しかし民主党は「無駄遣いをなくせば増税しなくてもいくらでも財源は出る」と、断言していたではありませんか!? 公約を棚に上げて大震災が起こったからと増税に踏み切ることは、やり方として卑劣すぎます。復興財源への協力は惜しみませんが、民主党が言ってきたこととやっていることの検証は必要です。