福岡県議会議員 おにき誠 公式ウェブサイト

2008年08月05日

日系三世のサヨナラホームラン

甲子園を観戦しながらブラジル訪問の日誌を書いていたところ、劇的な場面に出くわした。ブラジルから本庄一高(北埼玉)にやってきた日系三世の奥田ペドロ君がサヨナラホームランを放ったのだ。
奥田くんはブラジルで見た甲子園のビデオに魅せられ、日本で野球をすることを決めた。そのあこがれの舞台での劇的なホームラン、守備に打撃に躍動する姿は輝いていた。ネットで検索すると…あるもんだ、いろんな記事が。
祖父が1940年ごろ日本からブラジルへ来たこと、そして野菜作りの後サンパウロ州で小さなプラスチック工場を始めたこと、ペドロ君は地元チームで野球を始め日系企業が作った野球アカデミーに入ったこと、そこで監督から見せてもらった甲子園のビデオに魅せられたこと、昨春来日して寮生活を送っていること、今年4月、ブラジルで暮らす母ロザさんが脳腫瘍で倒れたこと、遠い病床の母の応援を受けての甲子園でのプレーであること…。そんなエピソードが書かれていた。
球児それぞれに人生のドラマがある。熱い思いがある。ブラジルからやって来たからと肩入れするのはどうかと思わなくもないが、思わず応援したくなるような輝きを彼は放っていた。

2008年07月27日

政治塾・第9講「ブラジル訪問記」

第9講の今回は「ブラジル訪問記~議員視察とはどのようなものか」をテーマに講義。19時より福岡市民会館にて開催。約2時間にわたる講義・質疑応答の後、場所を居酒屋に移しフリーディスカッション。参加者は17名。

おにきまこと政治塾・第9講の様子1おにきまこと政治塾・第9講の様子2

講義ノート
福岡県の「ブラジル日本移民百周年・記念訪問」の様子を、映像を使って解説。連日行われた日系人の熱い歓迎と交流の様子や、ブラジルにおける日本移民の活躍を伝えた。またそれらを通じて鬼木が感じたこと学んだことをレポートした。以下は講義のハイライト
  • ブラジルは日本の23倍の国土に1億8千万人の人口を持つ。食糧・資源に恵まれた新興国でありBRICsの一角を成している。
  • 1908年に笠戸丸がサントス港に着いて以来、今年が日本からの移民100周年。日系人口は140万人を超え、世界一の日系人社会を形成している。
  • 福岡県は炭鉱離職者などを中心に、熊本・沖縄に次いで多くの移民をブラジルに送った県である。県人会は今でもしっかり組織されており、本国・福岡とのつながりも深い。
  • 日本移民はコーヒー農園などで奴隷同然の労働を強いられたが、その苦労の中、持ち前の勤勉さ誠実さでブラジル社会で信用を勝ち取っていった。
  • 「ヨーロッパ系移民は移民後まず教会を作ったが、日本移民はまず子弟のための学校を作った」と言われている。日本移民は苦労の中でも子弟に十分な教育を与えた。
  • 日本式の教育を受けた二世以降の日本移民は知的労働に従事するようになり(医者・官僚・政治家など)、ブラジル社会において高い地位と信頼を得ることとなった。
  • 日系人の故郷に対する思いは強く、福岡からの大訪問団にいたく感動していた。また思いの分だけ日本の現状に対する問題意識も高く、政治・教育に対する憤りの声も多く聞かれた。

次回、第10講は8月31日(日)18時から開催予定。場所は中央区荒戸の市民福祉プラザ(ふくふくプラザ)603研修室。テーマは「政治家という人生~道なき道の歩き方」。 どうすれば政治家になれるのか?選挙に当選すれば政治家なのだから、そこに至る道は無数にある。

誰もが被選挙権を持っているのだが、その権利を行使することはきわめて稀なことである。政治の道へ踏み出す様々な方法・類型や、政治家のやりがいや苦労について講義する。

2008年06月29日

政治塾・第8講「検証・道州制」

第8講の今回は「検証・道州制~本当にバラ色の未来なのか?」をテーマに講義。 18時より、黒門公民館にて開催。約2時間半にわたる講義・質疑応答の後、場所を居酒屋に移しフリーディスカッション。参加者は23名。

おにきまこと政治塾・第8講の様子1おにきまこと政治塾・第8講の様子2

講義ノート

明治の廃藩置県に始まった日本の中央集権体制も、官僚機構の腐敗や非合理により制度疲労をおこしている。そうした現状への不満もあり、最近では地方分権、そして道州制の議論がにわかに盛んになってきている。

しかし「変われば良くなる」という単純化された論理を鵜呑みにすることは大変危険である。道州制のメリットとデメリットを慎重に検討しなければならない。
現在までの議論における道州制のメリットは、それぞれの立場の人が自分の立場でのメリットを語る「我田引水」のものが多い。一方、道州制のデメリットについてはあまり考えられていない。

私は、道州制により地方の独立性が高くなれば、地方間競争・地方間対立が生まれると考える。自力ではやっていけない地方が生まれ、そこが日本から独立するという最悪の事態もありうるということを指摘(実際現在でも、対馬市においてそうした議論が波紋をよんだ)した。国民に「国」を尊ぶ意識がない中での道州制移行は、国がバラバラになる危険性をはらんでいることを伝えた。

次回、第9講は7月27日(日)18時から開催予定。場所は決まり次第HPにて告知。テーマは「ブラジル訪問記~議員視察とはどのようなものか」。6月に行われた「ブラジル日本移民百周年記念訪問」を、映像を使って解説する。

2008年06月25日

ブラジル訪問記「結びに」

午前中にホテルを出て13時半の便で成田へ向かう。後は成田→羽田→福岡、と帰るだけだ。到着は26日の21時。12日間にわたる訪問がとうとう終わる。

さて、たった一日のアメリカ滞在だったが、衝撃的に思えたことがあった。それは真っ直ぐにそびえ立つビルとビルの間に掲げられた「旗」だ。

アメリカは歴史も浅い移民国家であり多民族国家である。それはNYの街を歩けばすぐに感じられる。その多民族国家のアメリカが、星条旗のもとに「AMERICA」としてひとつになっている。翻って日本はどうであろう? 国として国民がひとつになっているだろうか? 旗を高く掲げる誇りを持っているだろうか? アメリカでは普通の光景が日本では見当たらない。

戦後日本はさまざまなものを失ってきたのではないだろうか? それはブラジル移民が今でも持っている明治の精神であり、日本の魂である。国内にいては気付かないことがたくさんある。そこに目を開かせてもらえたこともこの訪問での大きな財産だ。

2008年06月24日

ブラジル訪問記「ニューヨーク視察」

ニューヨークには朝到着。前夜機内泊のためいまいち熟睡できていないが、視察は精力的に敢行された。

まずは、ジャコブ・K・ジャビッツ・コンベンションセンターを視察。ニューヨークという一等地にどのようにして広い敷地のコンベンションセンターを作ったか、また黒字経営の秘訣は何か、等に注目した。現地職員によればこのセンターも敷地の広さの点では満足ではないらしい。会議室の数も足りないと言っていた。集客力や利便性が必要なコンベンションセンターだが、都心部での立地の難しさを感じた。

続いてメトロポリタン美術館へ。展示を見る前に、職員による美術教育プログラムの説明を受けた。美術館の展示品は素晴らしかった。とても一・ニ時間で全て見られるようなものではない。フラッシュを焚かなければ写真撮影も許可されていたので、ゴッホ・ゴーギャン・クリムト……好きな画をたくさん撮影した。写真はゴッホの作品の一部分を接写拡大したもの。

次にグッゲンハイム美術館を訪問。こちらは芸術家を育てるプログラムについて説明を受けた。出てすぐのところにセントラルパークがあり、バスを待つ間パーク内を散策。短時間だったので公園の大きさは実感できなかったが、都心の公園で自然を楽しむニューヨーカーの雰囲気だけは感じることができた。

この日はニューヨークに宿泊。行きはこの一泊がなかったので、ブラジル~福岡の移動は36時間という超ハードスケジュールになってしまった。一泊入れて、県政の課題であるコンベンションセンターや美術館を視察させてもらえたのはありがたかった。

2008年06月23日

ブラジル訪問記「サヨナラ!ブラジル」

いよいよブラジル最終日。
最後の訪問地は、日伯友好病院(HOSPITAL NIPO BRASILEIRO)。日本人が作った総合病院が(和食が出される唯一の病院であることもさることながら)その最先端の医療で日系人や現地ブラジルの方々にとって大切な存在となっている。

正面には創立者の像が。「博愛の人 神内良一氏の像」と書いてある。中に入ると「建設特別協力者芳名」というプレートがあり、寄付者の名前が。日系人の会や日本企業や芸能人の名前が掲げられている。患者や勤務員は日系人もいればブラジル人もいて自然に共存している雰囲気。部屋入り口には、例えば「ENDOSCOPIA 内視鏡検査」などと日本語が併記されている。

院長室にて応対してくれた院長・事務長・外科医の先生は皆日系人だったが、事務長さんは日本語が不得手な様子だった。院内の案内をしてくれた外科医の先生は日系二世でサンパウロ大学出身、日本語も上手だった。外科医であり学生時代ラグビーをしていたという共通点から吉原太郎県議と意気投合された。吉原県議は鼻から入れる日本の最新の内視鏡を送ってあげると約束されていた。二人が固く握手を交わして訪問は終了。

昼食は郷土料理・フェイジョアーダ。かつて農園で奴隷が働かされていた時代に、主人の捨てた豚の内臓や耳を黒豆と煮込んで作られたもの。こうした歴史と文化を感じさせる食べ物はぜひ食べておかなければならない。ブラジルの味は総じて濃い。特に塩気が強い。暑い気候で汗をかくため、体が塩分を欲するのだろう。

いよいよニューヨークへ。飛行場に着くと、県人会の皆さんがサプライズのお見送りに。写真中央が私でその両隣が日系一世のご夫婦。ご主人は戦後単身でブラジルに乗り込み農業を始めた。奥さんは「私は移民花嫁なの」とおっしゃっていた。初めて聞いた言葉だったが、農業移民の青年達の結婚相手としてブラジルに渡った方々をそう言うらしい。ご主人がジャンバーを着ているのはブラジルが冬だから。日本から来た私達は初夏の装いだが、ブラジルの方々には寒く感じられたのだろう。

ブラジル県人会の皆さんの温かい笑顔に見送られて、ニューヨーク行き9時間のフライトが始まった。今日は機内泊。NY着は現地の朝になる。

2008年06月22日

ブラジル訪問記「リオ・デ・ジャネイロの光と影」

今日は飛行機に乗ってリオ・デ・ジャネイロ(以下リオと略記)へ。
国内線用のサントス・ドゥモン空港はリオの中心部にほど近く、「世界で最も便利で美しい空港」と言われているらしい。確かに採光の良い美しい作りで、壁には現代絵画が描いてあった。

バスで空港を出発するとすぐに市の中心部へ出る。1960年のブラジリア遷都まで首都であったこの地は、ポルトガル統治時代の面影を各所に残している。リオのカーニバルに使われるという巨大な観覧スタンドや、収容人数11万5千人のマラカナン・サッカースタジアムを車窓から眺めた。

大きな団地の下のトンネルを通過する。なんでもここは先に低所得者向けの団地が建っていたのだが、トンネル工事の立ち退きに反対した住民側の主張が通って団地を残したままトンネルを掘ったのだとか。このトンネルをくぐると景色が一変する。人口20万人・世界最大とも言われる大スラム街だ。

リオには相続税というものがない。それは「豊かな人はより豊かに、貧しい人は貧しいまま」という政策的なものからきているそうだ。他にもブラジルでは階級維持のための愚民政策が残っているという。国があえて国民に豊かな教育を与えないのだ。そのほうが現在の身分・階層が保たれ統治しやすいのだ。現在のブラジルでは初めて労働党の大統領が政権を握っているが、これは貧困層へのバラマキ政策が大衆に受けたからだそうだ。こうした愚民政策の弊害により、全体の国力が底上げされないという現実がある。

2007リオ世界柔道が開催されたリオ・セントロ・コンベンションセンターを見学。バスで有名なイパネマ海岸・コパカバーナ海岸へと向かう。途中路上でさまざまな商売をする人を見る。「20万人ものスラム生活はどうやって食っていってるんだろう?」という疑問の一部が解けた。

昼食をとりコルコバードの丘へ。ロープウェイで頂上へ登ると有名な巨大キリスト像が。ところが当日は天候不良のためキリスト像はほとんど見えず。むしろこんな日は年間何日もないらしい。丘から見下ろした景色と巨大キリスト像はリオの名物なので、これが見られなかったのは残念。

丘を下り、リオ国立美術館へ。建物は立派だったが、ヨーロッパの歴史・風景画で暗い色調のものが多く、目を引くものはなかった(私の主観だが)。見学に来ていた子ども達が「日本語を教えて!」とジャレついてきた。後方に見える彫刻はサモトラケのニケ像のレプリカ。

帰りの飛行場に着いたときには日も暮れ、丘の上のキリスト像はライトアップされていた。晴れていれば本当に美しかったことだろう。カーニバルやビーチリゾート、世界3大美港といわれるリオであるが、悪天候も手伝って貧しく治安の悪いリオの方が印象に焼きついてしまった。陽気な都市の光と影を見た思いだ。「愚民政策で教育も与えられないなら、貧しい人々が一攫千金を可能にするサクセスストーリーはサッカーしかないのかな? ブラジルがサッカー大国なのは、政治と無関係ではないのかもしれない。」なんてことを考えつつサンパウロへと帰った。

2008年06月21日

ブラジル訪問記「福岡県主催 交流会」

サンパウロでの巨大な式典を終え、宿泊のホテルに戻る。南国の夜は長い。もう日も暮れすっかり夜だが、ここからまた交流が始まる。これまでブラジル側からもてなされるばかりだったので、今日は福岡県主催でもてなしをさせてもらう。

サンパウロ近郊の県人会役員の皆さんとはすっかり仲良くなっており、テーブルを囲んで日本・ブラジルの政治や社会について語り合った。日系の方々は日本の情勢に大変詳しく「よくご存知ですねぇ!」と驚く私達に対し、「俺達は毎日NHK見てんだ!ニッケイ新聞も毎日読んでるから、何でも知ってるぞ!」との答え。聞けばニッケイ新聞とは日本経済新聞のことではなく、日系人のためのブラジルの新聞らしい(表記はNIKKEY SHIMBUN)。

この日に限ったことではないが、日系人の皆さんは母国日本の有様を大変憂慮している。「自民党も民主党もだらしねえぞ!」厳しいお言葉をいただいた。日本のためを思っての心からのお言葉、しっかり胸に受け止めさせていただいた。

夜も更け会はますます盛り上がり、日伯対抗カラオケ大会となった。この日ばかりは知事も穏やかな笑顔で十八番を一曲披露された。
会の終了は11時も過ぎていただろうか。長い一日が終わった。

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